東海道五十三次 歩きました。

2015年秋 お江戸・日本橋から歩き始め、2016年秋 京・三条大橋まで踏破しました。

57. いま、ふたたび。

年改まり早々に、再び一石二鳥旅。
雪降る故郷を後にして、18きっぷで駿州へ。

----------
2016年1月4日 (月)
第11日目

お正月 三が日も終わりました。

暗闇に眠る故郷を静かに出発して6時間強、
静岡県のJR清水駅に降り立ったのは午前11時過ぎのことです。

東海道の続きを歩き始める前に…
f:id:ofuku53:20171015115834j:image
穏やかに冬の陽が射す清水港
船の写真を1枚パチリ

清水を初めて訪れたのは前年 (2015年) 3月。
まぐろ でおなかを十二分に満たした後、
ここ清水港から三保半島に渡り「三保の松原」へ向かいました。

( そのときのブログ記事 )

tokaido-aruki.hatenablog.jp

当時 芽生えた「いつか東海道五十三次を歩くかもしれない」という予感は早速に現実のものとなり、私は今 再び清水にいます。

港に束の間 滞在した後、駅の反対側にまわり 見憶えのある道を歩いて行きます。
訪問2度目ながらも勝手知ったる風で颯爽と歩く商店街。

そして神社にたどり着き、
f:id:ofuku53:20171015115853j:image

f:id:ofuku53:20171015115909j:image
再びお目にかかります。

以前は神社境内にあるサッカーボールに驚きつつ 先へは進まず、駅へと引き返しました。

1年前の自分が見ることのできなかった、その先に続いてゆく景色。
自らの目と足で確かめる旅は まだまだまだまだ続きます。

56.《今昔比較》奥津 (興津)

東海道五拾三次之内
奥津 ( おきつ ) - 興津川 -
〈 江戸より17番目の宿場 〉

f:id:ofuku53:20171007210429j:image
かつての東海道には橋が架けられていない川が多くあり、ここ興津川は 徒歩渡し (かちわたし) でした。
川越し人足たちが2人の相撲取りを駕籠と馬に乗せて、川を渡る様子が描かれています。

2015/12/29 (火)
f:id:ofuku53:20171007210447j:image
現在は橋を渡って進みます。

55.《今昔比較》由井 (由比)

東海道五拾三次之内
由井 ( ゆい ) - 薩埵嶺 -
〈 江戸より16番目の宿場 〉

f:id:ofuku53:20171001210626j:image
画面左上から右下にかけての対角線と平行して 松の木々・峠の坂道 (左上)・岩 (中央下) の傾斜が描かれており、画面全体に動きが出ています。
薩埵峠を行き交う人々は、突如として現れる富士山の姿を目の当たりにして 驚きに包まれていることでしょう。
旅人たちの感動が伝わってくるようです。

2015/12/29 (火)
f:id:ofuku53:20171001210641j:image
いつの世も変わらぬ偉容 そこに在り

54. 列車が通過するお寺

富士山の姿を心ゆくまで目に焼き付けながら
青く澄んだ空のように晴れ晴れとした気分で薩埵峠を越え、
次なる宿場「興津 (おきつ)」に入ります。

このあたりは交通量の多い国道で、昔の街道の面影を探すのは困難です。

そんな中、興味深いお寺の前を通りかかります。

f:id:ofuku53:20170817002707j:image

『清見寺 (せいけんじ)』
正式には「巨鼇山 清見興国禅寺」(こごうさん せいけんこうこくぜんじ)

7世紀 天武天皇の頃、
清見関 (きよみがせき) という関所と共に 仏堂が建立されたのが創建として伝わるそうです。

室町時代には足利尊氏今川義元により保護され、水墨画家の雪舟も訪れたとのこと。
お寺は高台にあり、駿河湾と三保松原が望めるようです。

また、徳川家康が幼少時 今川氏の人質として駿府に在った頃、
清見寺の住職 太原雪斎 (たいげん せっさい) の元を訪れ学んでいました。

このように歴史深く由緒ある清見寺には 他にも数々の著名人が訪れ、見所もたくさんあるようです。

残念ながら今回は見学する時間がなく、総門を眺めているだけです。

… と、そのとき。

f:id:ofuku53:20170817002735j:image
なんと、境内をJR東海道本線の列車が通過しました。

明治22年 東海道線が開通した際に
最寄りの興津駅が開業し、清見寺 境内の一部は鉄道敷地とされたとのこと。

---
そして 興津宿を過ぎて、
次の宿場「江尻 (えじり) 」に向かいます。
最寄りはJR清水駅

f:id:ofuku53:20170817002809j:image
このような道を通り、

f:id:ofuku53:20170817002836j:image
このような川を渡ります。

とある横断歩道にて 信号待ちをしていたときのことです。
中学生と思しき少年たちが数名、友達同士ふざけ合って大声を出しながら 自転車でこちらに向かってきます。

関わり合いを避けるべく気配を消していましたが…
通り過ぎるときに彼らは言いました。
「驚かせてごめんなさい、おねえさん!」

おねえさん… 悪くない響きです。

f:id:ofuku53:20170817002901j:image
少々複雑な気持ちを抱えつつ、1本の松の木を挟んで 彼らは左へ向かい、私は右の旧東海道へ進みます。

このあたりは「細井の松原」

旅人が涼めるように、と江戸時代初期に植えられ かつては1,000本以上あった松も、現在はこの1本を残すのみ。
太平洋戦争の際、航空機燃料の原料として伐採されたそう。
f:id:ofuku53:20170817002929j:image

---
時計の針は14時を指しています。
清水駅の売店で「ちびまる子ちゃん」のイラストが描かれたお菓子を急いで購入し、14時09分発の電車に駆け込みます。

本日は途中下車して、蒲原駅から清水駅まで 3駅分歩きました。
我が故郷まで、各駅停車で あと7時間の旅路をゆきます。

駿河の皆様、良いお年をお迎えください。

----------
★第10日目
2015年12月29日 (火)
蒲原→由比→興津→江尻
   資料上の距離 : 17.1km
   歩数計 (1日) : 18.41km / 28,596歩

53.「薩埵峠」

由比宿を過ぎ、寺尾・倉沢という地区の静かな街道を歩いて行きます。
f:id:ofuku53:20170617211729j:image

そして眼前に現れた急坂を登って行くと、
f:id:ofuku53:20170617211858j:image

左手に駿河湾が広がります。
f:id:ofuku53:20170617211840j:image
とっても開放的!

f:id:ofuku53:20170617211921j:image
みかんの木 に 静岡らしさ を感じながら
後ろを振り返ると、

f:id:ofuku53:20170617211949j:image
富士山がこちらを見ています。

f:id:ofuku53:20170617212008j:image
心を弾ませながら坂道を登って行きます。

f:id:ofuku53:20170617212025j:image
駿河湾

f:id:ofuku53:20170617212042j:image
富士山。

f:id:ofuku53:20170617212056j:image
みかん。

f:id:ofuku53:20170617212115j:image
やっぱり富士山!!

高揚感に包まれて、足取りは非常に軽やかです。

ここは「薩埵峠 ( さったとうげ ) 」

富士山が望める景勝地であり、歌川広重の浮世絵に描かれています。

f:id:ofuku53:20170617212136j:image

澄みきった空
白い雲を身にまとう富士山
深く青い海

薩埵峠は、急斜面と海に挟まれた交通の難所です。
現在は、国道1号東名高速道路JR東海道本線といった重要な交通網が集中しています。

かつては重要な戦略地点でもあり、度々合戦の舞台となったそうです。
(南北朝時代には 足利尊氏 対 弟の足利直義 /
戦国時代には 武田信玄今川氏真北条氏政)


今日は絶対に晴れてほしかった。
この景色を見たかったから。

眼に映る空と海のように、嬉しさで満たされた気持ちがどこまでも広がります。

---
思い返せば当ブログ開設時、最初の記事に載せたのは この薩埵峠から望む富士山の写真でした。

tokaido-aruki.hatenablog.jp

(当初の甘い見積もりに反して、ブログの更新は非常にゆっくりとした速度を保っています。)

---
f:id:ofuku53:20170617212158j:image
年の瀬だということを忘れてしまいそうな、日差しの明るい のどかな峠道。

みかん運搬用のレールが敷かれています。

f:id:ofuku53:20170617212224j:image
ハイキングを楽しむ家族連れの姿も見受けられました。

f:id:ofuku53:20170617212239j:image
本当に素晴らしい眺めです。
広い海と、海岸に沿った道路の対比が何とも言えません。

f:id:ofuku53:20170617212253j:image
ありがとう、富士山。

しつこいくらいに後ろを振り返り、名残を惜しみながら峠を下ります。

f:id:ofuku53:20170617212311j:image

f:id:ofuku53:20170617212325j:image

---
麓に下りてきました。
地元の方と思しき年配の女性がゆっくりと歩いています。

今日は暑いねぇ。
本当に、良いお天気ですね。

言葉を交わしながら、晴れやかな気分で次の宿場へと向かいます。

広告を非表示にする

52. 年の瀬迫る由比の宿場をゆく

これは好機です。
年末に我が故郷へ帰省する際、東海道新幹線を利用せず 各停列車で参りましょう。
途中下車して「東海道五十三次」を歩けば 一石二鳥
2つの目的を同時に果たすことができ 旅費も抑えられます。

2016年の足音を間近に聞きながら
東海道歩き 第10日目がスタートします。

----------
2015年12月29日 (火)
早朝から 帰省を兼ねた電車に揺られること4時間。

様々な人との触れ合いに心を満たしながら、
暮れゆく町を足早に通り過ぎたのは3日前の夕方のことでした。
今ふたたび蒲原駅に降り立ちます。

歩き始めてほどなく、江戸から16番目の宿場
「由比 (ゆい)」に足を踏み入れます。
かつての宿場の雰囲気が残る町並みです。

暮れも押し詰まり 静かな街道の朝は
新たな年を迎える人々の息づかいで活気付いています。

由比といえば「桜えび」。
直売所の前を通りかかりますが…

年越しの準備に追われているであろう人々の日常に
時の流れの異なるよそ者が割り込むことをためらう気持ちが湧き起こり、
立ち寄ることなく通り過ぎます。

f:id:ofuku53:20170513222604j:image
本陣屋敷跡の "由比本陣公園" と "東海道広重美術館" は、年末年始で休館。

f:id:ofuku53:20170513222616j:image
本陣の向かい側
"正雪紺屋 (しょうせつこうや)" も閉まっています。

この紺屋 (染物屋) は江戸時代初期から400年以上続き、
幕府の転覆を企てた軍学者由井正雪 ( ゆい しょうせつ ) の生家であるとか。

f:id:ofuku53:20170513222627j:image
清水銀行 由比支店の出張所
( 旧庚子銀行本店 / 大正14年竣工 )

由比宿の西木戸 (出入口) を過ぎ、由比川を渡ります。
f:id:ofuku53:20170513222637j:image

駿河湾沿岸を通る 東名高速道路国道1号JR東海道本線、そして今歩いている旧東海道

JR由比駅付近の由比漁港には足を運ばず、旧道は少し内陸に向かいます。

f:id:ofuku53:20170513222647j:image
歩道橋を渡り、本日いちばんの目的地まで あと3km。

51.《今昔比較》蒲原

東海道五拾三次之内
蒲原 ( かんばら ) - 夜之雪 -
〈 江戸より15番目の宿場 〉

f:id:ofuku53:20170312225542j:image
山も宿場も深い雪に覆われ、静寂の中を3人の旅人が 足跡を残しながら歩いて行きます。
蒲原夜之雪 は、55枚の浮世絵の中で唯一 雪の情景が描かれており 名作と称されています。

しかし 蒲原は温暖な地域で、豪雪地帯ではありません。
一説には、越後国 (新潟) にある "蒲原" と
イメージを重ね合わせた作品だとも言われているようです。

2015年12月26日 (土)
f:id:ofuku53:20170312225608j:image
昭和35年 国際文通週間の記念切手に採用されたとき、記念碑が建てられたそうです。

宿場内には 本陣・旅籠・商家など、昔ながらの面影が残されています。

" 御殿山 " に長居してしまった私は 往時の町並みにゆっくり思いを馳せることもままならず、日が沈みゆく蒲原の宿場を足早に通り過ぎました。

f:id:ofuku53:20170312225638j:image
旧五十嵐歯科医院
大正時代に町家を増改築した建物で、外観は洋風・内観は和風とのこと。

f:id:ofuku53:20170312225723j:image
志田家住宅主屋
「ヤマロク」という屋号で味噌や醤油の醸造を営んでいた商家です。