東海道五十三次 歩いてます。→歩きました。

2015年秋 お江戸・日本橋から歩き始め、2016年秋 京・三条大橋まで踏破しました。

11. 赤穂浪士の足跡を辿る

高輪の大木戸を過ぎて間もなく「泉岳寺」があります。
播磨国赤穂藩主 浅野家の菩提寺であり、「忠臣蔵」の赤穂浪士 (赤穂義士) 四十七士も眠ります。
これは是非とも立ち寄らなければなりません。

江戸時代 元禄の頃。
主君 浅野内匠頭長矩の仇を討つため、本所松坂町 吉良上野介義央の屋敷に討ち入る赤穂浪士たち。
見事に首級 (しるし) をあげて、ここ泉岳寺に眠る主君の墓前に供えたのです。

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なるほど… ここが泉岳寺

ちょうど前日のお昼に 某散歩番組でテレビ放送されていました。これも ご縁でしょう。

ところで ここ数年、忠臣蔵ゆかりの地を 折に触れて巡っておりました。

播州赤穂 (兵庫県)
かつて浅野家が治めており 赤穂浪士の故郷。
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備中松山城 (岡山県高梁市)
標高430m 臥牛山 山頂にあり、天守が現存する山城としては最も高いところにあります。
お城の中でも 山城 は特に好きです。
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江戸時代初期、城主の水谷氏に跡継ぎが無く お家は断絶。
そこで播州赤穂藩主 浅野内匠頭長矩が城の受け取りにあたり、筆頭家老 大石内蔵助良雄 (後の四十七士) が在番として とどまります。
赤穂事件は この数年後に起こります。

麓から1時間かけて登りましたが、途中に 大石内蔵助が登城の際 休息したと伝わる「腰掛岩」がありました。

◇ 松の大廊下跡 (皇居東御苑 内)
江戸城内 松之大廊下にて 浅野内匠頭吉良上野介への刃傷沙汰に及びます。
浅野内匠頭は即日切腹 お家取り潰し、一方、喧嘩両成敗に反して 吉良上野介は お咎めなし。
これに不満を募らせた赤穂浪士が 主君の仇を討つべく結束します。
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「上野介、この間の遺恨 覚えたるか!」
「浅野殿、殿中でござる!」
… 跡地に立つ石碑の前で、刃傷沙汰の場面を想像します。

◇ 豊岡 (兵庫県)
大石内蔵助の妻りく (但馬国豊岡藩主 京極家の筆頭家老 石束家) 生誕地
浅野家 取り潰し後、夫妻の長男 大石主税良金は内蔵助と共に吉良邸に討ち入りますが、幼い弟妹たちは りく に連れられて豊岡に戻ります。

◇ 本所松坂町公園 (東京都墨田区両国)
吉良邸跡。赤穂浪士 討ち入りの舞台です。
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そして泉岳寺

訪れた地を思い起こしながら、ストーリーを つなぎ合わせます。

忠臣蔵に心が燃え立ち 満足したところで、品川宿に向かいます。