東海道五十三次 歩いてます。→歩きました。

2015年秋 お江戸・日本橋から歩き始め、2016年秋 京・三条大橋まで踏破しました。

47. 冬晴れの東海道、富士は右にも左にも。

年の瀬迫る 2015年12月26日 (土)
AM9:30 JR吉原駅からスタートします。

前回 (12月20日) は 駅の南口から入り、帰途につきました。
今回は 駅の北口から出て、東西に走る東海道本線の線路を横断します。

この辺りは「元吉原」と呼ばれ、以前はここに " 吉原宿 " があったそうです。
しかし度重なる高波や津波の被害により、内陸の「中吉原」、さらには「新吉原」に移っていったとのこと。

紙の工場が建ち並ぶ町を歩き、田子の浦港に流れ込む 沼川 に架かる " 河合橋 " を渡ります。
f:id:ofuku53:20170116025918j:image
心も晴れ晴れとするような 良いお天気です。

そして「左富士神社」で両手を合わせます。
f:id:ofuku53:20170116025929j:image

" 左富士 (ひだりふじ) "
この響きに憧憬の念を抱きます。

東海道を東から歩いていると、
富士山はいつも右手に位置していますが
道のうねりのため ここでは左手に見えるそうです。

左富士と言えば、以前にも名所がありました。

神奈川県の " 藤沢宿 " を過ぎ 茅ヶ崎市に入ったところ、「南湖の左富士」と呼ばれる場所です。

※ 当時の様子を、当ブログ過去記事に載せています。

tokaido-aruki.hatenablog.jp

南湖では、あいにくの曇り空のため 富士山を見ることは叶いませんでした。

ここ吉原では、いかが相成りますでしょうか…

f:id:ofuku53:20170116025941j:image

!!

頭を雲の上に出した富士山が こちらを見ています。

" 正面富士 " を眺めながら信号が青に変わるのを待ち、この先 工場の隙間から 束の間の " 左富士 " を楽しみます。

" 右富士 " に戻った頃、和田川 に架かる橋のたもとに 「平家越え」と書かれた石碑を見つけます。
f:id:ofuku53:20170116025951j:image

治承4年 (1180年)
源平の "富士川合戦 " にて。
この付近に陣を構えていた平氏は、水鳥が群れ立つ羽音を源氏の襲来と錯覚し 戦わずして退却したとのこと。

源平を題材としたNHK大河ドラマが数年前に放映されていたことを、にわかに思い出しました。
平家越え の場面、ありました。
なるほど、この地でしたか。

800年の時を経て、土曜朝の穏やかな町を歩いて行きます。

新吉原宿の商店街を通ります。
ご当地グルメ「つけナポリタン」のお店の前に来ましたが…
開店まで わりと時間があるため、立ち寄ることを断念します。

本日の行程は まだ始まったばかりです。
今は1年で最も昼が短い時期だということも、忘れてはなりません。

吉原宿を過ぎて1時間ほど歩き、「本市場」を通ります。
ここは 間の宿 (あいのしゅく) 。
吉原宿と蒲原宿の間で 旅人が休憩できる場所です。

ここから眺める雪の富士山は、中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたそうです。
京都の画家 盧洲 が鶴を描き、江戸の学者 亀田鵬斉 が詩文を添えた石碑「鶴芝の碑」が建っています。

きっと当時は見晴らしも良く、賞賛に値する景色だったに違いありません。

現在は住宅が建ち並んでいますが、それでも富士山は確かな存在感で 町の風景の主役となっています。
f:id:ofuku53:20170116030002j:image

本日は清々しく晴れ渡り、いつでもどこでも、富士の姿が目に飛び込んできます。

静岡県「富士市」という地名は、もっともなことです。

f:id:ofuku53:20170116030015j:image
マンホールに描かれた絵も、富士山が中心です。

f:id:ofuku53:20170116030024j:image
富士市には「かぐや姫」の伝説もあります。

てくてく歩いていると、背後から自転車が近づいてきます。

「オハヨウゴザイマス。トテモ ヨイ オテンキデスネ!」
留学生でしょうか、女性2人が笑顔で楽しそうに走り去ります。

「おはようございます!」
非常に晴れやかな気分になります。

あいさつは心をつなぐ合言葉。
あいさつは心の架け橋。
… どこかで目にしたことのある標語です。

彼女たちも私も 素敵な1日を過ごせますように。